李白

有 名な作品

秋浦歌 其十五(秋浦の歌 其の十五)
原文 書き下し文 通釈
白髪三千丈  白髪 三千丈 私の白髪は三千丈
縁愁似箇長 愁に縁りて箇(かく)の似(ごと)く長し 憂愁の末にこんなにも長くなってしまった
不知明鏡裏 知らず 明鏡の裏  明るく澄んだ水鏡の中
何處得秋霜  何れの処にか秋霜を得たる これほどに真っ白な秋の霜、一体どこから降ってきたのだろうか

 

早發白帝城( 早に白帝城を発す )
原文 書き 下し文 通釈
朝辭白帝彩雲間 朝に辞す白帝 彩雲の間 朝早くに美しい色の雲がたなびいている白帝城を出発し
千里江陵一日還 千里の江陵 一日にして還る 千里離れた江陵まで一日でかえれるのだ
兩岸猿聲啼不住 両岸の猿声 啼いてやまざるに 両岸の哀しい猿声が啼きやまないうちに
輕舟已過萬重山 軽舟已に過ぐ 万重の山 軽やかな小舟は幾万に重なる山々の間を一気に通過してしまった

 

静夜思
原文 書き 下し文 通釈
牀前看月光 牀前 月光を看る 寝台の前に射し込む月の光をみる
疑是地上霜  疑らくは是れ地上の霜かと これは、地上に降りた霜ではないかと疑うほどだ
擧頭望山月 頭を挙げて 山月を望み 頭をあげて山に上る月を望み
低頭思故郷  頭を低れて 故郷を思ふ また頭を垂れては故郷に思いをはせる



    略歴

李白の出自および出身地には諸説あり、詳細は不明である。『旧唐書』 本伝の記述では山東の 出身とするが、の 王gなどをはじめ、通説はこれを誤りとする。

李陽冰の 「草堂集序」および范伝正の「唐左拾遺翰林学士 李公新墓碑」、さらにこれらを踏まえたとされる北宋欧陽脩新唐書』 などの記述では、李白は隴西郡成紀県(現在の甘粛省天水市秦 安県)の人で、西涼の太祖武昭王・李ロの9世の後裔とする。 李白の先祖は、末 の時代、何らかの事情で西域東 トルキスタンのあたりに追放され[2]、 姓を変えてその地で暮らしていたが、中 宗神 龍年間、西域から蜀(現四川省) に移住し、李白の誕生とともに李姓に復したという。

20世紀になると、陳寅恪ら が李白を西域の非漢民族の出身とする新説を出した。日本の研究者でも松 浦友久などが、李白の父が「李客」と呼ばれ、正式の漢人名を持ったという形跡がないこと、また後年の李白が科挙を受験しなかったこと などを根拠に、この説を支持している。

現在の中国における通説では、李白は西域に移住した漢民族の家に生まれ、幼少の頃、裕福な商人であった父について、西域から蜀の綿州昌隆県青蓮郷 (現在の四川省江油市青 蓮鎮)に移住したと推測する。

いずれにしても、遅くとも5歳の頃には蜀の地に住み着いていたと考えられている。